教室の沿革
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講座開設当初まで1944年(昭和19)年創設の福島県立女子医学専門学校を基盤として、1947(昭和22)年に旧制医科大学(予科)が設立された。1950(昭和25)年4月、旧制医科大学附属病院が開設され、1952(昭和27)年4月、現福島県立医科大学が開設された。
1951年(昭和26年)4月の教室開設当初は福島県立医科大学整形外科学講座であった。1998(平成10)年4月、看護学部が開設され、福島県立医科大学医学部整形外科学講座となる。
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佐藤孝三教授時代(1953-)主に骨折の整復固定術、骨切り術、拘縮解離・植皮術、筋性斜頚の腱切り術、ポリオによる麻痺患者の関節固定術などが行われた。当時は、福島県に整形外科をもつ病院が福島医大以外には皆無であったため、佐藤教授は整形外科分野の啓発を積極的に行った。
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土屋弘吉教授時代(1954-)当時(昭和30年頃)は福島地方の冬の採暖手段は囲炉裏や炬燵がほとんどで、幼児がに転落して火傷を負うことが多く、火傷瘢痕拘縮の手術が多かった。この頃から椎間板ヘルニアの手術が行われるようになり、Love法を採用した。
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鈴木良平教授時代(1960-)リーメンビューゲル(乳児先天股脱治療用の革紐装具)の本格的臨床応用を日本で初めて行った。現在、日本で乳児先天股脱の基本的治療法となっているリーメンビューゲル法は、鈴木教授のもと福島から始まり全国的に普及した。
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松本淳教授時代(1971-)東京大学時代に国内で最初に手掛けられたCharnleyの人工股関節手術を就任早々に福島に持ち込んだ。このため、福島では国内でも早くから人工股関節手術が実施されることになり、当時は手術が困難であった重度の関節リウマチや変形性股関節症の治療にも応用した。
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菊地臣一教授時代(1990-)神経根ブロックと歩行負荷試験による腰部脊柱管狭窄(症)の臨床分類を提唱し、責任高位のみに焦点を当てた選択的除圧術を独自に開発した。また、頚椎症脊髄症に対する選択的除圧術を考案し、国内の低侵襲手術の発展に貢献した。さらに解剖学や生理学を基盤とした神経根障害の病態解明に尽力した。腰部コンパートメント症候群の概念や、慢性疼痛に対する精神科と連携しリエゾン精神医学を国内で初めて導入した。本邦に脊椎内視鏡手術やEvidence-based Medicine (EBM)の概念を導入し、日本の脊椎外科の発展に寄与した。
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紺野愼一教授時代(2008-)頚部脊髄症ならびに腰痛疾患治療判定基準の策定(JOACMEQ, JOABPEQ)、腰部脊柱管狭窄症診断サポートツールの策定など患者立脚型評価ツールの導入と発展に貢献した。また、運動器慢性疼痛の心理社会的要因を評価するシステムの開発を行い、それまで客観的な評価が困難であった痛みに影響する心理社会的要因の評価を確立させた。そして、全国多施設研究を主導し、腰部脊柱管狭窄(症)をはじめとする脊椎退行性疾患と、QOLや心理社会的要因との関連について研究を行い、国内外にその成果を発信した。さらに、脳機能イメージングを用いて、腰痛が慢性化する脳内メカニズムを探索する研究を行い、慢性腰痛と脳機能との関連の解明に尽力した。
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松本嘉寛教授時代(2023-)