スイス チューリッヒ大学、チューリッヒ工科大学(箱﨑 道之)
箱崎 道之
2011年6月から2012年5月の1年間、スイス、チューリッヒに留学させていただきました。
2011年といえば、3月11日にあの未曾有の大震災に見舞われた年です。震災直後の混乱が続く時期ではありましたが、当初の予定から2ヶ月後に送り出していただきました。
所属先はSpine Research Group, Competence Center for Applied Biotechnology and Molecular Medicine, University of Zurich(UZH)という長い名前の研究室でした。その名前の通り、脊椎、特に椎間板の変性に関する基礎研究を行っており、福島医大とは数年前から共同研究を開始し、国際腰椎学会で最初の共同研究が”Medtronic Best Poster Award”を受賞しています。その縁が私の留学に繋がりました。
このSpine Research GroupのリーダーがDr. Karin Wuertz-Kozak(現Rochester Institute of Technology)で、2名の博士課程の大学院生、1名の修士課程の大学院生、そして私の5名での留学生活が始まったのですが、なんと10月にこのDr. Wuertzがお隣のチューリッヒ工科大学(ETH)のラボに移籍することになってしまいました。路頭に迷いそうになりましたが、日本とスイスの関係者の協力のもと、Dr. Wuertzと一緒に移籍することができました。新しい所属先は、Institute for Biomechanics, ETH ZurichのProf. Fergusonのラボでした。Prof. FergusonのチームがUniversity of Bernから移籍してきたばかりでしたので、何もないラボに機材を導入していくことからの始まりでした。私の椎間板培養細胞を用いた研究は、古巣のUZHのラボと、ETHの他のラボに間借りしながら継続しました。サンプルの入った箱を持ちながら、真冬のチューリッヒ市内をバスやトラムを乗り継いで行ったり来たりした生活は、当時は泣きそうな気持ちでしたが、今となってはよき思い出です。こうして立ち上がったラボでは、医局の後輩である小林洋先生、半田先生、亀田先生が研究を継続してくれました。
私のスイスに対する印象は、「山(アルプス)と湖に囲まれた牧歌的な国」というものでした。毎朝の通勤時には丘の上からの景色―チューリッヒ市街とチューリッヒ湖、そして南の彼方にそびえるアルプスの山々―を楽しむことができました。チューリッヒは国際的な金融都市としても有名ですが、街自体は小ぢんまりとまとまり、緑が多く、街行く人々も親切です。ラボのあるETH Hoenggerbergキャンパスは、街の北側の丘の上にあります。近代的なビル群と、キャンパス入り口に掲げられた「Science City」という大きな看板をバックに、乳牛や羊たちが牧草を食んでいるのが、いかにもスイス的だと思いました。
スイスは九州より少し広いぐらいの面積で、鉄道網が張り巡らされています。また、ヨーロッパの中心に位置していますので、近隣諸国への移動も容易です。はるか昔に学んだ世界史の知識を掘り起こしながら、休日を利用して観光も楽しみました。異なる文化に触れたこと、家族と過ごす時間を十分に取れたこと、そして何より海外生活を通して日本の良さをあらためて実感できたこと、それが留学生活での収穫であったように思います。もちろん言葉の壁もありましたし、研究生活自体が思ったようにいかなかったりもしましたが、これも今となっては良い経験になったと思っています。
私が留学してみたいと思うようになったのは、卒後5-7年目の大学院生活の頃でした。研究を通じて世界が広がり、また周囲に留学に旅立つ人がいたためです。大学院修了とともに研究生活には別れを告げ、臨床の現場に戻りましたが、その間も留学の希望は持ち続けていました。当初の渡航予定日直前には震災が起こり、一度は断念することも考えましたが、周囲の理解と励ましのおかげで、念願の留学生活を送ることができました。このことに感謝するとともに、自分の経験を活かし、留学に旅立つ人の背中を押す立場になりたいと思っています。近年、海外に留学する日本の若い研究者が減ってきていると言われています。留学することで人生が大きく変わることはないかもしれませんが、世界観や人生観が変わるきっかけにはなるかもしれません。留学に興味を持っている方は、是非チャレンジしてみてください。